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月刊児童文学翻訳

─2000年6月号(No.21 書評編)─

※こちらは「書評編」です。「情報編」もお見逃しなく!!

児童文学翻訳学習者による、児童文学翻訳学習者のための、
電子メール版情報誌<HP版>
http://www.yamaneko.org/mgzn/
編集部:[email protected]
2000年6月15日発行 配信数1,700


「どんぐりとやまねこ」

     M E N U

◎特集
子どもの本賞(The Children's Book Award)発表

◎注目の本(邦訳絵本)
ヴォージュラード文/絵『たったひとりの戦い』

◎注目の本(未訳読み物)
ジャクリーン・ウィルソン作 "The Illustrated Mum"

◎Chicocoの親ばか絵本日誌
第1回「絵本デビュー」(よしいちよこ)

◎特別企画
記憶のイコンとしての写真と文学―― "Out of the Dust"をめぐって



特集

―― 子どもの本賞発表 ――
(The Children's Book Award)

 

 6月10日、イギリスの児童文学賞のひとつ、「子どもの本賞」の発表が行われた。この賞は子どもむけのフィクションを対象とし、1980年に制定されたもの。審査員が子どもだけという特色をもつ。絵本、中級向けの短めの読み物、上級向けの長めの読み物という3つのカテゴリーごとに賞が与えられ、さらにそれら3作のなかから1作が選ばれる。受賞パーティには、審査にあたった子どもたちも一部招待され、候補作家たちと交流する楽しい場面がみられる。

 

 今年度の受賞作、および最終候補作(The Top Ten)は以下の通り。


【The Children's Book Award 2000】

★The Overall Winner(The Winner of the Shorter Novels Category)
"Kensuke's Kingdom" by Michael Morpurgo (Heinemann)

☆The Winner of the Picture Books Category
"Demon Teddy" by Nicholas Allan (Hutchinsons)

☆The Winner of the Longer Novels Category
"Harry Potter and the Prisoner of Azkaban" by J.K. Rowling (Bloomsbury)


《The Top Ten》最終候補の10作。(以下は、受賞3作品を除いたリスト)

Category 1 - Picture Books
"Mr. Wolf's Pancakes" by Jan Fearnley (Mammoth)
"Shh! (Don't Tell Mister Wolf)" by Colin McNaughton (Andersen Press)
"Harry and the Bucketful of Dinosaurs"
     by Ian Whybrow and Adrian Reynolds (David & Charles)

Category 2 - Shorter Novels
"The Brave Whale" by Alan Temperley (Scholastic)
"The Dream Master" by Theresa Breslin (Doubleday)

Category 3 - Longer Novels
"The Illustrated Mum" by Jacqueline Wilson (Doubleday)
"Face" by Benjamin Zephaniah (Bloomsbury)

 

 子どもが審査員となって選ぶ賞らしく、一昨年、昨年と、「ハリー・ポッター」シリーズの第1作、第2作が受賞したこの賞。本年も順当に、シリーズ第3作が上級向け読み物部門の賞を受賞し、変わらぬ人気を誇っている。

 だが栄冠を射止めたのはマイケル・モーパーゴであった。受賞作は、モーパーゴの得意とする、海や島を舞台とした作品である。両親とヨット航海中、愛犬とともに海に落ちた少年は、とある島に流れつく。そこには、奇妙なひとりの先住人がいた……。題名からわかるように日本人が登場する点で、われわれにも興味深い。モーパーゴの邦訳作品には、『ザンジバルの贈り物』(寺岡襄訳/BL出版)『星になったブルーノ』(佐藤見果夢訳/評論社)などがある。

 絵本部門の賞を受賞したニコラス・アランは、『てんごく』(やがわすみこ訳/カワイ出版)『しあわせなプリンセス』(いしいむつみ訳/BL出版)などで、日本でもおなじみの絵本作家。

(菊池由美)

 

〔参考〕

◇The Federation of Children's Book Groups 2008年3月リンク切れ
◇ACHUKA Children's Books UKの記事 2008年3月リンク切れ

 

子どもの本賞(The Children's Book Award)発表   『たったひとりの戦い』   "The Illustrated Mum"   Chicocoの親ばか絵本日誌   記憶のイコンとしての写真と文学   MENU

 

注目の本(邦訳絵本)

―― 少年の目が語りかける、戦争の物語 ――

 

『たったひとりの戦い』表紙

『たったひとりの戦い』
アナイス・ヴォージュラード文/絵
平岡敦訳 2000.3.31 徳間書店 本体1,900円

Anais Vaugelade(*) "La Guerre"
L'Ecole Des Loisirs 1998

 

 昔むかし、「赤の国」と「青の国」が、長い間戦争を続けていた。血気盛んな赤の国の王子は、自ら戦に決着をつけようと、青の国の王子ファビアンに一騎打ちを申し出る。一方のファビアンは、戦争も馬にのるのも好きではない。仕方なく羊にのって戦いの場へと出かけたところ、この一騎打ちが思わぬ結果に終わり、父王の怒りを買ってしまう。国を追放されたファビアンはただひとり、不毛な戦争を終わらせるためにある戦いを起こした……。

 表紙に描かれているのは、灰色の空を背景に木の枝にすわる少年。よろいらしき青い胴着を着ている。目に宿る強い意志の光に惹かれ、思わず本を手にとった。続く中表紙には、同じ少年の哀愁をおびた後ろ姿がある。遠くをながめているのか、頭はかすかに上向いている。その目になにが映っているのか知りたくて、さらにページを繰った。

 この少年こそが、青の国の王子ファビアンである。戦をきらうファビアンだが、声高に平和の意味を問うことはしない。ただ、長い戦で人びとがむだに命を落とす無意味さを悟り、武器を持たずに「たったひとりの戦い」を起こすのである。王子のこの戦いと行く末は、物語の展開としては決して斬新ではない。むしろ語り継がれてきた昔話を思わせる、オーソドックスな物語だ。

 それでも、この作品が凡に終わっていないのは、絵が圧倒的な説得力を持つからである。背景を抑えた簡素な構図に、国の名と同じ色の衣服を着た人びとが映え、対立する両国の関係が鮮やかに描かれる。また、主人公ファビアンは言うまでもなく、両国の王、兵士や民のひとりひとりの表情からも、ふだんの暮らしぶりや戦に対する思いが伝わってくる。顔だけではない。姿勢やたたずまいを含めた体全体が、ことば以上に雄弁に、彼らの苦悩や悲しみ、喜びを語っているのである。

 戦を終わらせねばという強い意志を秘めたファビアンの目には、おそらくこうした人びとの姿が映っていたのだろう。わたしが彼の目に強く惹かれたのは、その奥に描かれた多くの物語を見たからだ。

(森久里子)

 

【作者】Anais Vaugelade(*)(アナイス・ヴォージュラード)
 1973年パリ生まれ。両親とともにフランス南西部の牧羊場で子ども時代を過ごし、17歳でパリに戻って美術学校に入学。92年に"Ne me raconte pas d'histoires, maman"(Sophie Cherer作)の挿し絵でデビュー。以来、フランスを代表する若手画家・作家として、絵本や挿し絵の仕事で活躍している。邦訳は本書が初。

【訳者】平岡敦(ひらおかあつし)
 1955年千葉県生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒業、中央大学大学院修了。現在は大学で講師を務めるかたわら、フランス文学の翻訳・紹介をしている。主な訳書に『タンギー 「今」を生きてきた子どもの物語』(ミシェル・デル・カスティーヨ作/徳間書店)、『子ども諸君』(ダニエル・ペナック著/白水社)などがある。絵本の翻訳は本書が初めて。

(*)Anaisのiにはトレマ記号"‥"がつく。

 

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注目の本(未訳読み物)

―― 大人になれない母親とその娘達との切ない関係 ――

 

『わたしのママは、いれずみママ』(仮題)
ジャクリーン・ウィルソン作

Jacqueline Wilson "The Illustrated Mum" 222pp.
Transworld Publishers 1999, ISBN 0-440-86368-6

 

 この物語の語り手、ドルフィンは10歳。学校でいじめられても泣いたりしない。面と向かって言い返したり、心の中でいじめっ子を呪ったりする。異父姉妹の姉、スターは大人の世界の入り口に立つ中学生。ドルフィンと違って美人で友だちも多い。そしてドルフィンの母親、マリーゴールドはだれが見たって普通じゃない。なにしろ「自分の人生で大切なもの」を描いたカラフルな刺青が体に12も彫ってあるのだ。これは母親らしくない母のもと、自分なりの生き方を探っていく少女の物語だ。

 マリーゴールドは精神の起伏が病的に激しく、行動は自分勝手。一晩中帰ってこなかったかと思うと、次の日は台所にこもって山ほどケーキを焼いている。2人の娘は母の一挙一動に振り回され、薄氷の上を歩くような生活をしている。娘を愛する気持ちは人一倍強いマリーゴールドだが、幼いころ施設で愛を受けずに育ったためか不器用な愛し方しかできない。ドルフィンとスターはそんな母を理解し、支えながら、社会からの攻撃に耐え、痛々しいほど突っ張って生きてきた。

 けれども最近スターの態度が変わった。精神的に自立をし始めた彼女は、だらしない母親が許せなくなってきたのだ。普通の生活、普通の母親を求めるスターとそれに応えられないマリーゴールドとの対立。2人の間でドルフィンはおろおろするばかり。そんな時スターの父親、ミッキーが現れる。互いに初対面の父と娘だが、たちまち2人は意気投合する。マリーゴールドも一番愛するミッキーとの再会に喜び、この先4人でいっしょに暮らしていけると有頂天になるのだが……。

 ドルフィンは「普通の母」を求めないし、ドルフィンの親友、オリヴァーはマリーゴールドの刺青にあこがれさえする。人と違うなにかは、時としてきらりと光ってカッコいい。だが、それをだれもが肯定的に受け入れてくれるわけではない。どうしても敵ができ、だから肩肘張って生きてしまう。ドルフィンは親友と、スターは実の父と出会うことで張り詰めていた心の糸が緩み、肩の力が抜けた。残されたマリーゴールドはどうするのだろう。年をとっても、変わらずにとがったままで生きていくのだろうか。それとも娘のために、心に「普通の母」という13番目の刺青を彫るのだろうか。

(大塚典子)

 

【作者】Jacqueline Wilson(ジャクリーン・ウィルソン)
 1945年、イギリスのバースに生まれる。ジャーナリストを経て、子どもの頃からあこがれていた作家になる。イギリスの子ども達が抱える悩みを子どもとおなじ目線で見つめ、からりと表現した作品を多数発表している。『おとぎばなしはだいきらい』(稲岡和美訳/偕成社)でカーネギー賞 HC、『バイバイわたしのおうち』(小竹由美子訳/偕成社)で子どもの本賞を受賞。"The Illustrated Mum"は今年度のガーディアン賞を受賞したほか、カーネギー賞、子どもの本賞の候補ともなっている。

※2004年3月、作者紹介文中の「カーネギー賞候補」を「カーネギー賞HC」に訂正

 

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Chicocoの親ばか絵本日誌 第1回 よしいちよこ

―― 「絵本デビュー」 ――

 

 好きな時間に、好きなだけ、好きな本を読む幸せ。その幸せは、1999年3月1日、息子「しゅん」が生まれて、一変しました。それまで、本は自分のためだけに読むものでした。手探りで子育てをしながら、「読み聞かせ」という名目で絵本を読む時間を捻出するいまは、もうひとりの読者がそばにいます。自分の好みを優先し、対象年齢を考えずに選んだ絵本に、しゅんが見せた反応を紹介していきます。親ばかを承知のうえで、おつきあいください。

『こねこのウィジー』表紙

 今回は、しゅんが生まれて初めて出会った絵本『こねこのウィジー』(ハリエット・M・ジーファート作/ドナルド・サーフ絵/加藤チャコ訳/福音館書店)。子猫のウィジーが、朝目覚めてから夜寝るまでのお話。ウィジーは朝食をすませ、外に遊びに出ましたが、いつのまにか森に迷いこみ……。

 しゅん3か月。初めて寝返りをしますが、まだ下手くそ。ほとんど上を向いて寝ている毎日です。新米ママの私は、しゅんが泣いても、うまくあやすことができず、困ってしまうことがよくありました。そこで、理由がわからず泣かれたとき、横にならんで寝て、『こねこのウィジー』を顔の前にかざし、読んでみました。すると、しゅんは泣きやんで、目をぱちくりと開き、左右に動かしたのです。目の前に広がる、明るい色の絵を見ています。ウィジーのピンクの服。赤や黄色のチューリップ。しゅんはカラフルな絵本に驚いているようでした。とりあえず泣きやんだので、「うちの子、この絵本を気にいったんだ」と思いました。泣きやませテクをひとつ増やしてくれた、絵本デビューとなりました。

 

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特別企画

―― 記憶のイコンとしての写真と文学 ――
"Out of the Dust"をめぐって

 

 大恐慌時代を生きる少女を主人公にした散文詩形式の物語 "Out of the Dust" は、1998年のニューベリー賞受賞作品であり、近く理論社から邦訳も予定されている(作品については『月刊児童文学翻訳』創刊号巻頭特集参照)。

 原書のカバーとなっているモノクロームの写真は、作者にこの物語を語らせる要因であった。カメラを正面から見つめている少女の写真は、我々日本人から見ても印象的であるが、アメリカ人にとってはイコンとしての意味を持つものなのだ。この物語の成立には、記憶を宿すイコンとしての写真が深く関わっている。文学とイコンとしての写真との関係を、カバー写真も含めて大恐慌時代の写真から考えてみよう。

 

★なぜ、エヴァンズの写真だったのか?

 "Out of the Dust"のカバーはウォーカー・エヴァンズ(Walker Evans *1)撮影の麦藁帽子の少女ルーシー・バローズ(Lucille Burroughs)の写真である。この写真を選んだ理由として、原書編集者のブレンダ・ボーエン(Brenda Bowen)は物語の時と場所を読者に喚起させるためだと述べている。偶然同じ写真に触発された作者カレン・ヘス(Karen Hesse)は受賞スピーチで物語の本質と関わる理由を語っている。

And my inspiration for "Out of the Dust", Lucille Burroughs, who stared out at me from the pages of "Let Us Now Praise Famous Men"(*2), imploring me to tell her story, even if I had to make it up.

"The Horn Book Magazine"98年7/8月号より

 しかし、私はこの本を手に取る前に、物語の時代背景と、カバーが写真ということを知って、FSA(*3)の有名な2枚の写真を思い浮かべていた。1936年のアーサー・ロスタイン(Arthur Rothstein)によるオクラホマの砂嵐の中を駆け出す父と息子たちの写真、1939年のドロシア・ラング(Dorothea Lange *4)による鉄条網を握ってうなだれている少女の写真である。おそらくヘスもリサーチの段階でFSAのあらゆる写真に目を通したはずだし、当然この2枚も記憶していただろう。だが、彼女にはロスタインでもラングでもなく、エヴァンズの写真でなければならない必然性があり、それはエヴァンズの写真の特性から来ていたのだ。


(*1)ウォーカー・エヴァンズ(1903〜1975)
 最初文学を志し、パリに遊学する。アメリカに戻ったのち本格的に写真を撮り始め、ニューヨークの都市風景、アメリカ東部のヴィクトリア朝時代の建築の撮影を通じて評価を確立する。
〔参考〕http://masters-of-photography.com/E/evans/evans.html

(*2)"Let Us Now Praise Famous Men"(名高き人々をいざ讃えん)
 エヴァンズを写真史上の神話的存在にした作家ジェイムズ・エイジー(James Agee)との共著。1936年にバローズ家ほかアラバマ州の綿小作人の二家族に取材した写真はFSAを代表する傑作である。当初エイジーと『フォーチュン』誌との契約で始まったが、完成したフォト・ストーリーは編集部の意に沿わず掲載は拒否された。エイジーのテキストにはあまりにも救いがなく、エヴァンズの写真もポジティブなメッセージに欠けていると考えられたのである。1941年、ようやく出版された。

(*3)FSA(Farm Security Administration 農業安定局)
ルーズベルト政権がニューディール政策遂行のために設立した機関。土壌疲弊や旱魃などに苦しむ農民たちの救済事業を支援するために、彼らの生活を中心にした社会的・経済的な状況を写真によって記録することを主な目的としていた。ディレクターはロイ・ストライカー(Roy Emerson Stryker)。エヴァンズ、ラングたちのほか、すぐれた写真家・美術家が参加し、写真史に残る作品を生み出した。
〔参考〕http://lcweb2.loc.gov/pp/fsaabt.html
    http://newdeal.feri.org/index.htm

(*4)ドロシア・ラング(1895〜1965)
 エヴァンズとともにFSAを代表する写真家。大恐慌時代の失業者や移住労働者の姿を共感のまなざしで記録した社会的メッセージの強い作品によって高い評価を受けた。
〔参考〕http://masters-of-photography.com/L/lange/lange.html


★FSAの写真と社会への影響

 エヴァンズの写真の特性は、彼以外のFSAの写真家に共通するものを探ることで明らかになる。現在の観点からすると、エヴァンズ以外の写真家の作品にはそれぞれの個性をこえて、ドキュメントとして十分な情報量を備えていること(その情報はFSAの目的のために恣意的に操作されたこともあった)と単なるドキュメントをこえて「物語」を内包しているように見えることが共通している。これはFSA自体が写真家にニューディール政策を支援する方向の明快なメッセージを伝える写真を要求したためであるが、けっして一方的な要求ではなかった。写真家たちも自分たちの仕事が政府の政策に貢献できると楽天的に信じていたのである。ルイス・ハイン(Lewis Hine *5)の系譜を受け継ぐ、写真によって何かを変えうるという社会改良主義的な考え方は大恐慌時代にはまだ有効性を失ってはいなかった。この方向性でFSA最良の作品を生み出したのがラングだ。移住労働者に取材した一連の写真は、悲惨な状況を伝えているのだが、与える印象はけっして暗くない。未来へ向かう熱意と誇りを失わない気高さが感じられ、見つめているうちに心は幸福感で満たされていく。大恐慌時代のイコンとしてラングの写真が有名なのも納得できる。

 1940年までに "Saturday Evening Post" "Time" "Life" "Look" をはじめとする200もの新聞や雑誌がFSAの写真を掲載した。これらの写真によるイメージの大洪水は大恐慌時代を「絶望の時代」としてでなく「社会変革を国民が一丸となって求めた一体感に満ちた幸福な時代――第二の建国神話の時代――」として刷り込むことになったのである。FSAの写真は無料ないしは低料金で利用できたため、その後もマスメディアで多用された。現在、大部分のアメリカ人にとって大恐慌時代が「国民が一体となった幸福感に満ちた時代」として記憶にとどめられているのは、周期的にマスメディアに登場したFSAの写真に刷り込まれたのが一因であろう。FSAの写真はアメリカという国家の理念そのものを体現しており、国民に幸福感を与えた。

 大恐慌時代を背景にした近年のアメリカ児童文学作品『リディアのガーデニング』(サラ・スチュワート著/福本友美子訳/アスラン書房)『友情をこめて、ハンナより』(ミンディ・ウォーショウ・スコルスキー著/唐沢則幸訳/くもん出版)には、人々が大恐慌時代に心を寄せ合いながら希望を失うことなく生き抜いた様子が、その時代を体験していない作者の手によって描かれている。アメリカの理念の再確認を文学によって行った例といえる。


(*5)ルイス・ハイン(1874〜1940)
 20世紀初めにアメリカの過酷な児童労働の現状を訴えた写真により社会を変えた写真家。その生涯は『ちいさな労働者』(ラッセル・フリードマン著/千葉茂樹訳/あすなろ書房)にくわしい。
〔参考〕http://masters-of-photography.com/H/hine/hine.html


★ヘスを触発したエヴァンズの写真

 文学に挫折したのち、都市の遊歩者として写真を始めたエヴァンズは社会改良主義に全面的に染まることはなかった。しかしFSAを通じて初めて接することになったアメリカ南部の農民たちの生活はエヴァンズを夢中にさせた。アラバマ州で撮られたエヴァンズの写真には、静かな興奮の中で写真による図鑑を作り上げようとする冷静な観察者のまなざしが感じ取れる。

 FSAの典型的な写真とは異なり、その時代には大した意味を持たないと思われた農民生活のディテール――農民たちの正面からの肖像、住居、インテリア、墓――をエヴァンズは三脚に据えた大型カメラによる鮮鋭な映像としてきわめて丹念に定着している。

 記憶はディテールに宿る特性を持つ。ディテールの具体性こそがその時代を体験しない世代が追体験をおこない記憶を醸成していくために必要なものだ。そのためのツールとして写真が役立つことは言うまでもない。記憶を宿す「イコン」としての機能に写真は何よりも恵まれている。ヘスを触発したイコンとしての写真には、ラングやFSAに参加した他の写真家たちの「写真そのものに物語を内包している」写真ではなく、あふれるばかりのディテールの具体性に満ちた、「写真そのものには固有の物語を内包しない」観察者としてのエヴァンズの写真が必要だったのだ。ヘスが語り部として新たな物語を語るためには、「FSAの物語」が投影されていない多様な読み方を可能にする写真でなければならなかったにちがいない。

 "Out of the Dust"をヘスは歴史についての物語だという。それとともに、歴史を支えるアメリカ人それぞれが持つ大恐慌時代の「記憶」についての物語、それもイコンとしての写真から追体験された文化的な記憶を再話した物語といえるだろう。

(西澤 豊)

 

子どもの本賞(The Children's Book Award)発表   『たったひとりの戦い』   "The Illustrated Mum"   Chicocoの親ばか絵本日誌   記憶のイコンとしての写真と文学   MENU

 


●編集後記●

 過去を舞台にした児童文学は結構多いもの。今回の企画記事は、過去をイメージする手段としての"写真"をテーマにした、「エグザイルギャラリー」ディレクターの興味深い論考です。(き)


発 行: やまねこ翻訳クラブ
発行人: 林さかな(やまねこ翻訳クラブ 会長)
編集人: 菊池由美(やまねこ翻訳クラブ スタッフ)
企 画: 河まこ キャトル くるり 小湖 Chicoco どんぐり BUN ベス YUU りり ワラビ MOMO つー さかな こべに みーこ きら Rinko SUGO わんちゅく みるか NON
協 力: @nifty 文芸翻訳フォーラム
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