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月刊児童文学翻訳

─2007年4月号(No. 89)─

児童文学翻訳学習者による、児童文学翻訳学習者のための、
電子メール版情報誌<HP版+書店街>
http://www.yamaneko.org/
編集部:mgzn@yamaneko.org
2007年4月15日発行 配信数 2370

もくじ

 ◎プロに訊く:第27回 デイヴィッド・ヒルさん(作家)
 ◎注目の本(邦訳絵本):『母からの伝言―刺しゅう画に込めた思い―』
エスター・ニセンタール・クリニッツ&バニース・スタインハート作/片岡しのぶ訳

 ◎注目の本(未訳読み物):"Sold" パトリシア・マコーミック作
 ◎注目の本(未訳読み物):"Rules" シンシア・ロード作
 ◎世界の本棚(フィンランド語):"Nunnu" オイリ・タンニネン文・絵
 ◎賞速報
 ◎イベント速報
 ◎世界のお祭り:第9回 過越しの祭り(ユダヤ教) 今年は4月2日より
 ◎読者の広場:3月号「お菓子の旅・フィナンシェ」への質問

●このページでは、書店名をクリックすると、各オンライン書店で詳しい情報を見たり、本を購入したりできます。

 

●プロに訊く●第27回 デイヴィッド・ヒルさん(作家)

 今回は、やまねこ翻訳クラブが毎年主催しているやまねこ賞において、2005年読み物部門で3位、2006年オールタイム部門で1位を獲得した『僕らの事情。』(※)の作者デイヴィッド・ヒルさんに、本書を訳した当クラブ会員の田中亜希子がお話をうかがいました。ヒルさんは、2月25日から11日間、日本のインターナショナルスクールの招待で来日されていました。滞在中いくつもの授業をこなす中、取材に快く応じてくださったことに、心より感謝申し上げます。

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【デイヴィッド・ヒル(David Hill)さん】
 1942年、ニュージーランド(以下NZ)、ネイピア生まれ。高校教師などの職を経て作家になる。児童書、一般書、エッセイ、戯曲など幅広いジャンルで活躍。中でも、YA向け小説の執筆が多く、NZで権威のある児童書賞のひとつ、ニュージーランド・ポスト賞を数々の作品で獲得しているほか、NZで児童文学に貢献した人に贈られるマーガレット・マーヒー賞も受賞している。

※『僕らの事情。』(求龍堂)は、本誌2005年11月にレビュー掲載。

【求龍堂ウェブサイト(取材協力)】
 http://www.kyuryudo.co.jp/

【デイヴィッド・ヒルさん作品リスト】
 http://www.yamaneko.org/bookdb/author/h/dhill.htm

【デイヴィッド・ヒルさんインタビュー ロングバージョン(日本語)】
 http://www.yamaneko.org/bookdb/int/dhill.htm

【デイヴィッド・ヒルさんインタビュー ロングバージョン(英語)】
 http://www.yamaneko.org/bookdb/int/dhill_e.htm

【田中亜希子訳書リスト】
 http://www.yamaneko.org/bookdb/int/ls/atanaka.htm

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Q★お会いできて感激です! 最初に、日本で "See Ya, Simon(『僕らの事情。』)" が出版されると聞かれたときの感想を、教えていただけますでしょうか。

A☆本の内容の一部については、日本の読者にどう伝わるのか、少し心配でした。たとえば、冗談は伝わるのだろうか、とか。そのあたりは、きっとアキコがうまく訳してくれたと思います(笑)。アキコはメールで何度か内容を質問してきましたよね?
 質問してくる箇所に、日本とNZの文化のちょっとした違いが表れていて、とても興味深かったです。ほかにも、表現の一部や、NZの子どもたちの暮らしぶりなど、理解されるかどうか、不安はありましたが、ある種の確信もありました。理想的な友情というのは、どこの国の子どもたちにも、理解できるものでしょう。

Q★NZでの "See Ya, Simon" の反響はどうでしたか?

A☆大きかったです。「この本を読んで泣いた」そして「ジョークで笑った」という感想をたくさんもらいました。日本の読者もまさに同じ反応をしてくれたようですね。ほかにも、サイモンみたいな友達がほしい、という子どもたちからの声もありました。それと、ブレイディみたいなかわいい女の子と知り合いだったらいいのに、という男の子の声も(笑)。これはアメリカの女の子からの感想なのですが「読み終わったあと、とてもやさしい気持ちになれた」という手紙をもらったことがあります。何よりうれしかったです。

Q★この作品を書かれたきっかけは?

A☆献辞の「N・J・B」は、娘ヘレンの友達のニコラスという男の子の名前です。みんなからニックの愛称で呼ばれていて、筋ジストロフィーで亡くなりました。そのとき、ヘレンはニックにさよならを言うために、お宅へうかがいました。行く前はとても怖がっていましたが、もどってきたときには、ちゃんとお別れできたことを誇らしく感じていたようです。ぼく自身、娘はとても勇気があると思いました。そして、それをもとに本を書こうと決めたんです。本に出てくるネリータは、ヘレンがモデルです。この本は最初、短編として書きはじめたのですが、書いているうちに、言いた いことがたくさん出てきて、1冊の本になったんですよ。
 そういえば、この本を書くとき、ちょうど家を改築中で、執筆作業に友人の家を使わせてもらっていました。ぼくは、どの作品でも、初稿はパソコンを使わず、ペンで書くんです。サイモンが亡くなるラストシーンにさしかかったとき、ぼくは泣きながら書いていました。すると、その家で飼われている老犬が、ぼくを心配して、膝の上に頭をのせてくれて……。ぼくは、犬をなでながら、ペンで書いて、同時に鼻もかんでいる――あれはちょっと忙しくて笑える状況でした。

Q★ニックの話を本にするにあたって、ニックのご家族とは連絡をとられたのですか?

A☆書き上げたとき、ニックの家族に連絡しました。詳細は変えているけれどニックをモデルにして物語を書いたことと、率直な感想を聞かせてほしいことを伝えて、原稿を渡しました。そのときは、これを読むことでご家族の気持ちが波立ってしまうのであれば、出版はできないと思い、とても心配でした。けれども、結果は、ぜひ出版してほしいとの返事。「これはわたしたちのニックの物語だと感じたし、とてもいい話だと思いました」と言ってくれました。ただ、本に名前を出す場合は、ニックのフルネームではなくイニシャルにしてほしい、というリクエストがあったので、献辞は そのようにさせてもらいました。
 この本では、ニックのほかにも現実と重なっているところがあります。サイモンには姉がいますが、ニックにも双子の女きょうだいがいましたし、ご両親は、本に描いたとおり、ニックをとてもよく支え、愛し、応えていました。また、サイモンの国語の教師「キッドマン先生」は、ぼくの友達で作家のフィオナ・キッドマンに名前を使わせてもらい、キッドマン先生の授業は、ぼくが教師時代に実際におこなっていたものを盛りこみました。

Q★この本にはどのようなメッセージがこめられているのですか?

A☆基本的に、メッセージをこめることを第一の目的として、本を書くことはありません。まずは、物語を書きたい、というところからスタートして、次に、興味深い人物を登場させたい、という思いがきます。ですが、『僕らの事情。』に関しては、伝えたいことがありました。友達の大切さです。サイモンは友達がいたから、最期まで活き活きと過ごせました。そして、友達もサイモンがいたから、活き活きと過ごせたのです。本の最後にネイサンが言う「根性が悪くて、おもしろいやつだった〜」の文は、メッセージというわけではありませんが、友情が子どもたちにとって非常に意味 のあるものだと思って書きました。この本の特徴のひとつです。
 アキコ、"bad-tempered(根性が悪くて)" は訳すのが難しかったですか?

Q★ドキッ。たしかに、ここは平易で反対の意味の言葉が、リズムよくぽんぽん並べられているので、気をつけて訳しました。ただ、このシーンに至るまでに、サイモンとネイサンの性格がしっかり伝わってきていたので、"bad-tempered" の訳語に関しては、わりとすんなり出てきたんですよ。
 ところで、児童書から脚本、一般書まで、さまざまなジャンルの作品を書かれていますが、どのジャンルが好きですか?


A☆YA小説の執筆は、とても楽しいです。あとは、NZの雑誌にちょっとした笑えるコラムを連載しているのですが、その執筆も好きですね。
 若者向けに小説を書くのは、難しいことだと思っています。そしてその難しさが、好きな理由のひとつになっています。大人は本を読むとき、つまらない箇所にくれば、それを飛ばして読みつづけますが、ティーンエイジャーは、おもしろくないと、読みとおしてくれません。すべての文をおもしろく書くのは、ある意味「挑戦」です。その挑戦がぼくは好きなんです。

Q★YA小説を書くにあたって、その世代との隔たりを感じることはありますか?

A☆はい。毎日(笑)。「今」の若者を描きたいので、街で若い人たちを観察したりしています。また、近所の若者たちにバイト料を払って、原稿を読んでもらい、こんな言い方はしないとか、ここはおかしいとか、ここがわからないとかいったことを、指摘してもらっています。これは執筆にとても役立っています。

Q★作家になったきっかけは?

A☆ティーンエイジャーのころ、かわいい女の子が転校してきて、その子に気づいてもらおうと、得意の作文をがんばったんです(笑)。うまく書けると先生がクラスで読み上げてくれるんですよね。けっきょく、女の子にはふりむいてもらえませんでしたが、文章を書くことに目覚めたと思います。
 その後だいぶたってからですが、息子が生まれるとき、死産になる可能性があると言われた時期がありました。そのとき、毎日入院中の妻を見舞いに行きながら、書くことで、なんとか自分を保っていたんです。それが今につながっています。当時の記録は、あとで作品にも生かされたんですよ。子どもは、無事に生まれて元気に育ちました。

Q★今後の作品の予定は?

A☆今年の8月に、ティーンエイジャーふたりを描いた恋と音楽の物語が出版されます。タイトルは "Duet" です。その次に書きたいと思っているのは、冒険物語。20年から30年前のNZが舞台で、ぼくの子ども時代の話――自伝的要素も入っています。

Q★最後に、翻訳者に期待することをお聞かせください。

A☆ぼくに入る印税をたくさん生み出してくれる人がいいです(笑)。というのは冗談で、ぼくに言う資格があるかどうかわかりませんが、ティーンエイジャーの言葉を正しく書ける人だとうれしいですね。YA小説を書くときは、できるだけ若者の言葉をリアルに伝える努力をしているので、翻訳でもリアルなティーンエイジャーの姿が描かれているようにしてほしいです。

(取材・文/田中亜希子 協力/武富博子)

 
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●注目の本(邦訳絵本)●

―― 美しい糸が語り伝えるホロコーストの記憶 ――

『母からの伝言―刺しゅう画に込めた思い―』
エスター・ニセンタール・クリニッツ&バニース・スタインハート作/片岡しのぶ訳

光村教育図書 定価1,995円(税込) 2007.01 64ページ ISBN 978-4895726597
"Memories of Survival" by Esther Nisenthal Krinitz and Bernice Steinhardt
Hyperion Books for Children, 2005

 刺繍による美しい絵本。手にすれば、その色鮮やかさ、細やかさに魅了されずにいられない。だが、そこに表されているのは、まぎれもなく、ひとりのユダヤ人少女がくぐりぬけたホロコーストだ。
 刺繍画の制作者エスターは、ポーランドのユダヤ人村で生まれ育った。1939年、村にナチスが入ってきて、12歳の彼女に過酷な日々が始まる。生への強い意志を持つエスターはつねに、命をつなぐ道を機知と勇気で選びとり、妹とともに生き延びる。
 戦後、エスターは結婚してアメリカに移住した。やがて50歳になったとき、自分の体験を娘たちに「目に見える形にして伝えたい」と思いたち、74歳で亡くなるまでに36点の刺繍画を遺した。絵本に収められているのは、そのうち34点。エスターの言葉に、娘のバニースが説明を書き加えて、当時の状況をわかりやすく伝えている。
 ホロコーストといえば、残酷で悲惨な場面がまっ先に思い浮かぶ。この美しい刺繍画にも、エスターが目にし、体験した恐ろしい出来事が、彼女の心に残ったままつぶさに描かれている。兵隊に銃を向けられるねまき姿の家族、ダムで殴られながら働く強制収容所の若者たち……。さらには、ロシア軍に殺されてつるされたナチスの兵隊。 だが針仕事による絵は、素朴な絵柄となり、生々しさを感じさせない。また、母と娘の文章は、被害者意識、恨みの情におぼれることなく、淡々としている。そのため読むものは、残酷さや悲惨さに心を奪われることなく、エスターの恐怖や不安、悲しみや苦しみを深く理解し、その上で、事実を客観的な目で見つめ直すことができる。
 抗えない時流の中で誰もが必死に生きていた。ユダヤ人も、ユダヤ人を助けた、あるいは見捨てたポーランド人も、ナチスの兵隊も。立場が変われば、誰もが同じ行いをしえた。人は愚かで弱く、そして、賢くたくましい。
 出来事から長い年月を経たのち、時間をかけて丹念に縫いこまれたのは、二度とあってはならない歴史の記録であり、人間のありのままの姿だ。ホロコーストを生きた母の記憶は、戦後生まれの娘たちによって絵本となり、一家族のものからわたしたちのものとなった。この記憶を次世代に引き継ぐのは、わたしたちの役目だ。

(寺岡由紀)


【作】エスター・ニセンタール・クリニッツ(Esther Nisenthal Krinitz)

1927年、ポーランドに生まれる。ホロコーストを生きぬいて、戦後結婚。1949年にアメリカに移住してから、ニューヨークのブルックリンで婦人服店を営む。2001年、74歳で逝去。

【作】バニース・スタインハート(Bernice Steinhardt)

エスターの長女。ベルギーで生まれる。アメリカへ移住したのは3歳のとき。米国議会調査部門の会計検査院役員を務める。戦争など社会的不公平による犠牲者の言葉と芸術作品を通して、犠牲者の体験を人々に伝えることを目的とした非営利団体 Art and Remembrance を、妹のヘリーン・マクウェイドとともに、2003年に設立する。

【訳】片岡しのぶ(かたおか しのぶ)

国際基督教大学教養学部卒業。翻訳工房パディントン&コンパニイを夫とともに主宰する。翻訳書は、『モギ:ちいさな焼きもの師』(リンダ・スー・パーク作/あすなろ書房)、『きいてほしいの、あたしのこと――ウィン・ディキシーのいた夏』(ケイト・ディカミロ作/ポプラ社)など多数ある。

【参考】
▼Art and Remembrance 公式ウェブサイト
http://www.artandremembrance.org/index.html

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●注目の本(未訳読み物)●

―― 少女のつぶやきが重く心にひびく ――

『売られた少女』(仮題)
パトリシア・マコーミック作

"Sold" by Patricia McCormick
Hyperion Books for Children, 2006 ISBN 978-0786851713
268pp.

★2006年全米図書賞児童書部門最終候補作品

 現在ネパールでは年間約1万人の少女たちが、家族によって売られるなどして、売春宿で働かされているという。本書はその事実をもとに書かれている。
 13歳のラクシュミはネパールの田舎で、貧しいながらも幸せに暮らしていた。だが生活が苦しくなり、継父により売られてしまう。都会でメイドをするのだと思っていたラクシュミだが、長旅の末に着いたのは隣国インドの売春宿だった。そこで必死の抵抗もむなしく鞭で打たれ、食べ物ももらえず、あげくに薬を飲まされ、無理やり客を取らされる。ラクシュミは絶望のどん底に突き落とされるが、次第に同じ宿の仲間たちもそれぞれ事情を抱えていることを知る。かつて宿から逃げだそうとした少女は、連れ戻されるときに暴力を受けて顔面に麻痺が残り、笑うこともままならない。幼いころから母親に酒を与えられていた少女は、アルコール依存症になっている。売春婦として働きながら子どもを育てている女性もいた。やがてラクシュミは彼女の息子から、密かに英語とヒンディー語を教わるようになる。学ぶことで優等生だった昔の自分を思い出し、ささやかな心の支えとするものの、地獄の日々から抜け出す術はない。
 物語は自由詩の形をとり、ラクシュミによる一人称で語られる。つぶやきを重ねたかのような簡潔な文の連続は、たくさんの余白に囲まれて重みを増し、胸に深く迫ってくる。売春宿にくる男たちの様子や女主人の暴力などが、淡々とした言葉でつづられているのに妙に生々しい。宿の仲間たちの人生模様に、売春から抜け出し人生を立て直すのは容易でないという厳しい現状を思い知らされる。作者はこの本を書くために、インド、ネパールで売春婦として働いていた少女たちの取材を行ったそうだ。フィクションでありながら現実感があるのは、そこで得た生の声が反映されているからだろう。アジア諸国での人身売買や少女売春のニュースは時折耳にするが、遠い国の出来事として情報は素通りしがちだ。けれども本書からは、主人公が味わう怒りや苦しみ、絶望がひしひしと伝わってきて、少女たちの惨状に目を向けずにはいられなくなる。実際にたくさんのラクシュミが存在することを思い、何とも言えない無力感におそわれるが、その重い現実に圧倒されながらも、何かしなければ、どうにかしなければ、という気持ちがわきあがってくる。

(佐藤淑子)


【作】Patricia McCormick(パトリシア・マコーミック)

米国ニューヨーク在住の作家、ジャーナリスト。多くの新聞、雑誌に記事やコラムを執筆するかたわら、大学などでジャーナリズム、創作を教えていた。2000年に初のティーン向け小説 "Cut" を発表。本書 "Sold" は3作目となる。邦訳はまだない。

【参考】
▼パトリシア・マコーミック公式ウェブサイト
http://www.pattymccormick.com/

▽全米図書賞児童書部門受賞作品リスト(やまねこ翻訳クラブ資料室)
http://www.yamaneko.org/bookdb/award/us/nba/nba00.htm#nba2006  

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●注目の本(未訳読み物)●

―― 「普通」を望む少女が見つけたものは……。 ――

『ルール!』(仮題)
シンシア・ロード作

"Rules" by Cynthia Lord
Scholastic Press, 2006 ISBN 978-0439443821
200pp.

★2007年ニューベリー賞オナー(次点)作品

「水そうにおもちゃをいれません」「誰かに物をもらったら、(気に入らなくても)『ありがとう』といいましょう」。スケッチブックに書きためられたデイビッド用のルール。12歳のキャサリンは、その場にあった行動ができない自閉症の弟に、少しでも世の中のことを教えようと、行動の手本をたくさん作っている。弟が長年通う療育施設へ付き添ったある日のこと、絵の得意なキャサリンは、待合室で手足に麻痺があり車椅子に乗るジェイソンをスケッチする。彼女にとってスケッチは、人や物を観察し、よく知るための手段なのだ。聞くことはできるが、話せないジェイソンは、コミュニケションブックの中のカードを指差し、意思を伝えていた。でも、文字だけが書かれたカードの中に、彼の表現したい言葉がない。「絵をいれたカードを作りましょうか」思わずキャサリンは、彼の母親に提案していた。そんな折、キャサリンの隣家に同い年のクリスティが引っ越してきた。物語に出てくるみたいな、窓から合図を送りあう友だちになれるかも。キャサリンの期待は、大きくふくらんだ……。
 弟のことは好きだが、それでも「普通」の弟を望むキャサリンの微妙な気持ちが、痛いほど伝わってきた。両親へのいらだち、デイビッドがいるせいで感じる周囲からの視線など、障がい児のきょうだいが抱える複雑な悩みを、自閉症の息子を持つ作者が、経験に基づいて見事に描ききっている。物語中、うまく気持ちを表現できないデイビッドが発するのは、愛読書であるアーノルド・ローベルの『ふたりはともだち』『ふたりはいっしょ』(※)のせりふ。うまいタイミングでの引用と、弟について語るキャサリンの、ユーモアと愛情のある口調から、ふたりの心の通い合いときずなが感じられ、思わずほっとした。
 そして、物語のもう一つの核となるのは、キャサリンの成長だ。弟とは違った障がいを持つジェイソンと、人気者になりそうなクリスティとの友情に挟まれ、キャサリンは、悩む。周りを気にし、自分にもルールを作って規制していたキャサリンが、自分の弱さに気づいて壁をのりこえていく様子は、とても爽やかだ。「破れ」、「ルール」。絵カードを指差し訴えるジェイソンの姿が、胸にずしりと響く。

(美馬しょうこ)


【作】Cynthia Lord(シンシア・ロード)

米国ニューハンプシャー州出身で、現在はメイン州在住。夫と娘、自閉症の息子とともに暮らす。教職、書籍販売を経て、作家となる。本書がデビュー作である。

【参考】
▼シンシア・ロード公式ウェブサイト
http://www.cynthialord.com/

▼シンシア・ロードへのインタビュー記事(Cynthia Leitich Smith による)
http://cynthialeitichsmith.blogspot.com/2006/03/author-interview-cynthia-lord-on-rules.html

▼ニューベリー賞公式ウェブサイト
http://www.ala.org/alsc/newbery.html

▼日本自閉症協会公式ウェブサイト
http://www.autism.or.jp/

▼全国障害者とともに歩む兄弟姉妹の会公式ウェブサイト
http://www.normanet.ne.jp/~kyodai/

▽ニューベリー賞受賞作品リスト(やまねこ翻訳クラブ資料室)
http://www.yamaneko.org/bookdb/award/us/newbery/newb00.htm#Nwbry2007  

※紹介の便宜上、邦訳名を記載しました。
『ふたりはともだち』『ふたりはいっしょ』(ともに、三木卓訳/文化出版局)
"Frog and Toad Are Friends"、"Frog and Toad Together" by Arnold Lobel

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●世界の本棚(フィンランド語)●

―― カラフルな夢の世界はレトロだけど新しい ――

ヌンヌ』(仮題)
 オイリ・タンニネン文・絵
"Nunnu" by Oili Tanninen
Otava, 2007 ISBN 978-9511217923(Finland)
96pp.
★2007年 Kirjapollo-palkinto(「本のフクロウ賞」)候補作品

 ヌンヌは〈ねむりの木〉に住む女の子。ナイトキャップがトレードマークだ。〈あくびのハタキ〉で人を眠らせ、希望にそった夢を見せてあげる。今日もプリッリ教授を眠らせる約束なのに、寝過ごして友だちのブツクサにたたき起こされた。ブツクサは、小さな体に大きな黒い帽子、いつもブツクサ文句をいっている男の子だ。ヌンヌはあわてて出かけようとするが、大事なハタキが見当たらない。そこで新しい道具を買おうと、ブツクサとホップの店へ向かった。そばかす顔の男の子ホップの店では、目の覚めるようなすばらしい品物が、必ず手に入る。最新式の道具を持って、3人は教授の家へ飛んでいく。ヌンヌは無事、教授に夢を見せてあげられるだろうか。
 なんともユーモラスな物語だ。おかしなできごとが次々に起きて、読者はくすくす笑いながら、この先いったいどうなるんだろうと、ページをどんどんめくってしまう。何が起きても、ヌンヌはのんびり、ホップはてきぱき、ブツクサは冷静。マイペースな3人のやりとりが、とぼけたいい味を出している。
 物語の楽しさとともに、読者の心を弾ませてくれるのは、白いページに踊る豊かな色彩だ。切ったりちぎったりした色紙が、登場人物の服や、チョウの羽や、花びらの形に配されている。描き加えられた細い線は、人物の表情や髪、チョウの触角や花の茎を表す。色の組み合わせは大胆だが、色合いは落ち着いていて、目になじみ心地よい。そして小粒で黒一色のブツクサの姿が、カラフルな画面をピリリと引き締める。どのページも、このまま一枚の絵として部屋に飾りたくなるほど、しゃれている。
 本書には「ヌンヌ」のシリーズ全3作が収められており、ここに紹介したのは1作目の内容だ。続く2作でも、すてきな絵と愉快な物語が読者を待ち構えている。このシリーズ、実は1960年代に発表されたものだったが、既刊を再評価する「本のフクロウ賞」(下記参照)候補となったことから、合本となってよみがえった。惜しくも受賞は逃したが、約40年を経て再び読者の前に現れたヌンヌたちは、はっとするほど魅力的だ。読者の目と心をしっかとつかまえて離さない、強いパワーを感じる。
 よい作品の輝きは、いつまでも色あせない。ヌンヌが見せてくれる夢のように。

(古市真由美)


 

【文・絵】Oili Tanninen(オイリ・タンニネン)

1933年、当時のフィンランド東部ソルタヴァラ(現在はロシア連邦カレリア共和国)に生まれる。国際アンデルセン賞佳作(1964年)、フィンランド国内のトペリウス賞(1966年)やルドルフ・コイヴ賞(1967年)ほか、多くの受賞歴を持つ。邦訳に『ボタンくんとスナップくん』『ロボットのロムルスくん』(いずれも渡部翠訳/講談社)などがある。

【参考】
▼オイリ・タンニネン紹介ページ(フィンランド児童文学作家協会〈Suomen Nuorisokirjailijat ry〉公式ウェブサイト内、フィンランド語)
http://www.nuorisokirjailijat.fi/tanninenoili.shtml

▼「本のフクロウ賞」全候補作の書影および著者近影のページ(フィンランド書店連盟〈Kirjakauppaliitto〉公式ウェブサイト内、フィンランド語)
http://www.kirjakauppaliitto.fi/?doc=119

▽ルドルフ・コイヴ賞について(本誌2007年2月号「世界の児童文学賞」番外編)
http://www.yamaneko.org/mgzn/dtp/2007/02.htm#kikaku
 

【Kirjapollo-palkinto(本のフクロウ賞)について】
 フィンランド書店財団(Kirjakauppasaatio)が主催する賞。複数の部門があるが、そのうち "Nunnu" が候補となった作家部門は、フィンランドで10年以上前に出版された児童書(ヤングアダルト作品を含む)で、現在も注目に値する作品に贈られる。発表の時期は不定期。候補作はすべて新たに出版される。本賞は1987年の創設だが、作家部門の内容が2007年より上記のように一新された。

【特殊文字】
「Kirjapollo-palkinto」:「Kirjapollo」のすべての「o」の上にウムラウト(¨)がつく
「Kirjakauppasaatio」:「saatio」のすべての「a」と「o」の上にウムラウト(¨)がつく

 

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●賞速報●

★2006-2007年ビスト最優秀児童図書賞ショートリスト発表(受賞作の発表は5月16日)
★2007年度フェニックス賞発表
★2007年度ドイツ児童文学賞ノミネート作品発表(受賞作品及び特別賞の発表は10月12日の予定)

海外児童文学賞の書誌情報を随時掲載しています。「速報(海外児童文学賞)」をご覧ください。

 

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●イベント速報●

★展示会情報

軽井沢絵本の森美術館
 「中欧の絵本・原画展 =伝統の絵本芸術から生まれた幻想世界=」
徳島県立近代美術館
 「かえるくん、ミッフィーとオランダ絵本の仲間たち オランダ絵本作家展」など
 

★セミナー・講演会情報

メリーゴーランド「江國香織さん講演会」、「清水真砂子さん講演会」など
 
 

★イベント情報

「上野の森 親子フェスタ」など
 
 詳細やその他の展示会・セミナー・講演会情報は、「速報(イベント情報)」をご覧ください。なお、空席状況については各自ご確認願います。

(井原美穂/笹山裕子)



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●世界のお祭り●第9回 過越しの祭り(ユダヤ教)
今年は4月2日より

 今回は、3千年の歴史を持つ〈過越しの祭り〉をご紹介しましょう。これは、古代エジプトでファラオの奴隷だったユダヤ人が、モーセに率いられてエジプトを脱出し、自由の民となったことを祝うユダヤ教の祭りです。ユダヤ歴のニサン月(太陽暦の3月か4月)14日の夜から始まり、8日間にわたって続くこの祭りは、ヘブライ語では〈ペサハ〉、英語では〈パスオーバー〉と呼ばれています。
 旧約聖書によると、その昔、神はエジプト人の奴隷であったユダヤの民を救うために、エジプトに〈十の災い〉を下しました。そのうちのひとつが、エジプトのあらゆる家の長子を殺すというもので、このとき、子羊の血で戸口に印をつけたユダヤ人の家だけは災いが過ぎ越したという故事が、この祭りの名前の由来となっています。
 8日間続く祭りのなかで最も大切なのが、最初の晩に行われる〈セデル〉と呼ばれる儀式です。出エジプトに関する本〈ハガダー〉を読み、〈セデル・プレート〉という特別な盆に盛られた6つの食材を味わいます。その食材というのは、エジプトでレンガを作らされていたことを思い出すためのハローセット(りんご、ナッツ、蜂蜜などを混ぜて固めたもの)、奴隷としての苦い経験を忘れないための苦菜(西洋わさび)、塩水に浸して苦しみの涙を象徴するパセリなどです。マッツァと呼ばれる種なしパン(酵母を使用しないパン)も欠かせません。レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ、たくさんの画家がテーマとして取り上げた〈最後の晩餐〉は、この〈セデル〉の様子を描いたものだとも言われています。
 種なしパンを食べるのは、ユダヤ人がエジプトを脱出した時に、時間がなくて種を使ったパンを作って食べることができなかったことに由来しているそうです。この祭りの期間、ユダヤ人の家庭ではマッツァ以外の小麦製品を家に置くことは禁じられています。そのため、祭りまでに食べ切れなかった小麦製品は、ユダヤ人以外の家庭に あげるなどして処分し、さらに家の中に残っていないか確認の意味で大掃除をします。パン類はどんどん膨らむということから、高慢や偽善の象徴とも考えられており、家中の大掃除をすることで、自分の内面の「悪」を掃除するという意味も持っているとのことです。
 このように〈過越しの祭り〉にとって重要な意味を持つ種なしパン、マッツァの準備をする様子は、本誌今月号の注目の本(邦訳絵本)でレビューが掲載されている『母からの伝言―刺しゅう画に込めた思い―』でも紹介されています。パンを焼くために村中の人が集まっている様子が、刺しゅうで描かれています。

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 生地を作るには、こね鉢を順番に使いましたが、ゆっくりしてはいられないので、なかなか難しい作業でした。エスターは、完ぺきな生地を作れるお母さんを、とても自慢に思っていました。
 過越しの祭りはその後もめぐってきましたが、祝うことができたのは、この年が最後でした。

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 ほかにも、スペイン北部の町を舞台にした『約束の丘』(コンチャ・ロペス・ナルバエス作/宇野和美訳/行路社)では、自分の両親が隠れユダヤ教徒であることを知った少年フアンが、両親とともに初めて〈過越しの祭り〉を経験する様子が描かれています。歴史の流れの中で世界各地に離散しながらも、ユダヤ人が守り続けてきた伝統の祭りに、みなさんもぜひ一度児童書を通して触れてみてください。

(村上利佳/笹山裕子)

★参考文献・ウェブサイト
『世界大百科事典』平凡社
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E8%B6%8A

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●読者の広場●海外児童文学や翻訳にまつわるお話をどうぞ!

 3月号の「お菓子の旅 第38回」で取り上げた「フィナンシェ」について、翻訳家の金原瑞人さんからご質問をいただきました。どうもありがとうございました。以下、ご質問と回答を掲載します。

【金原瑞人さんより】
 今回のお菓子、フィナンシェなんだけど、「背広を汚さずに」とあって、それって、どういう意味なんでしょうね。ひとくちで食べられるということかなあ。それなら、マドレーヌだって似たようなものだし。とか考えてしまうのでした。
 ぼくはただ形や色が金塊に似ているから、「銀行家」にちなんでかなあと思ってたんだけど。

【編集部 お菓子の旅担当より】
 ご指摘いただいた「背広を汚さず」の文章は、参考文献に使った本からそのまま引用しました。もちろん、名前の由来には色々な説があり、これはそのひとつとしてご紹介したものです。
 実は、私は今までマドレーヌしか食べたことがなく、この記事を書くために初めてフィナンシェを自分で作って、そして(もちろん!)食べてみたのです。同じ焼き菓子でも、食べるとポロポロとこぼれるマドレーヌに比べ、フィナンシェはずっとしっとりとしていました。細長い形も確かに食べやすく、これなら店先で1つ買って、歩きながら食べられるなと、納得しました(日本では行儀が悪いことですが、外国では「ながら食べ」を目にすることが多いですよね)。また、私の住んでいるオーストラリアでも、アイスクリームをおいしそうに食べているスーツ姿の男性をよく見かけるので、こちらの男性は、甘いもの好きな人が結構多いんだなと感じることがあります。
 甘党でしかもおしゃれなフランス男性だからこそ、ピシッと着こなした背広にお菓子のくずがくっつくのが気になったのかもしれませんね。
 以上、私の個人的な考えを書いてみました。

▽2007年3月号「お菓子の旅」記事
http://www.yamaneko.org/mgzn/dtp/2007/03.htm#okashi

▽やまねこ翻訳クラブ・お菓子掲示板
http://www.yamaneko.or.tv/open/c-board/c-board.cgi?id=okashi

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●編集後記●

ネパールとアメリカで今を生きる2人の少女も、やがてエスターのように次の世代へ伝えたい思いを抱くのでしょうか。そういえばイスラエルでは、過越しの時期、大手ハンバーガーチェーンも種なしパンを使うとか。日本のこどもたちと向 き合ってくださったヒルさんに、ヌンヌが素敵な夢を見せてくれますように。(お)

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