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※こちらは「書評編」です。「情報編」もお見逃しなく!!
児童文学翻訳学習者による、児童文学翻訳学習者のための、
M E N U
―― 2003年 カナダ総督文学賞発表 ―― 11月10日、カナダ総督文学賞(児童書部門)がカナダ・カウンシル(The Canada Council for the Arts)により発表された。10月20日に発表されていたショートリストのなかから選ばれたものである。英語作品とフランス語作品それぞれに対して、物語 (text) と絵 (illustration) の各部門が設けられている。受賞作は以下の通り。 Governor General's Literary Awards (children's literature)
物語部門では、手縫いの人形で劇をするのが好きなために、いじめっ子から攻撃されながらも、明るく成長する少年を主人公にした "Stitches" と、少女が怪しい男に妹を売ってしまった顛末をコミカルに描いた "J'ai Vendu Ma Soeur" が受賞。絵部門では、先住民クリー族の儀式に初めて参加する少年と祖母との語らいを美しい油彩で表現した "The Song Within My Heart" と、変わった材料ばかりで作る象料理(!)のレシピを奇抜なコラージュで紹介する "Recette d'E(´)le(´)phant a la Sauce Vieux Pneu" が受賞した。 ちなみに、英語作品の絵部門で候補に挙がった "Sindbad's Secret" は、『シンドバッドのさいごの航海』(ルドミラ・ゼーマン文・絵/脇明子訳/岩波書店)として昨年11月に邦訳が出版されている。 なお、本誌ではこれまで本賞の名称を "The Governor General's Awards" と紹介していたが、今回より主催団体のサイトに合わせて "The Governor General's Literary Awards" を使用することとした。 ※アクサン・テギュ(´)、アクサン・グラーヴ(`)は、直前の文字の上につく。物語部門仏語作品のタイトル中の soeur は、o と e が接している。 (須田直美)
―― 頁を繰ると中世の息づかいが聞こえる ――
時は13世紀のイギリス。11歳の誕生日を目前に控えた少年トビアスは、騎士の従者として必要なマナーや武芸を学ぶために、伯父の城へ住み込みの小姓として修行に出る。その城での生活ぶりを、トビアス自身の筆で綴ったのがこの日誌だ。 1月10日の日付で始まるこの日誌には、その年の12月26日にトビアスの父が迎えに来るまでの1年間の、狩りや武術大会、祝宴、刈り入れといった季節に応じた貴族の館での生活が詳しく書かれている。また、当時の貴族のマナーの他に、料理方法や医師による治療といったことも詳しく紹介されている。トビアスの日記という形を取っているため、ただ単に当時の生活ぶりが紹介されているだけではなく、11歳の少年が抱く素朴な疑問や感想もまた書かれている。トビアスと同年代の現代っ子も共感を持てることだろう。 当時の様子をよりわかりやすく私たちの目の前に再現してくれるのが、クリス・リデルの筆による絵である。クリス・リデルは、壁にかかった高価なタペストリーや大広間の床に敷かれた藁など、中世の城内部の様子を非常に緻密に描いている。特筆すべきは、登場人物の顔の表情だ。主人公であるトビーと小姓仲間を除くと、子細に描かれている人物はほとんどが貴族に仕える召使いや農民である。今にもその口からセリフが出てきそうなくらい、感情にあふれた表情をしているのだ。また、人間だけでなく、猟犬や馬の表情も実に細かく描かれている。見開きにわたって描かれた冬の狩りのシーンは、非常に臨場感に溢れており、犬の吠える声や馬の足音が聞こえてきそうだ。 なお、巻末には当時の身分制度や城、武芸について、より詳しい説明も載せられており、読者としては嬉しい限り。 さて、身分の高い貴族と同席しての食事中に、つばを吐きたくなったら、あなたならどうする? もし、鼻をふいたらその手はどうする? こたえはこの本の中にある。この本を読んで、あなたも当時の一流の食事マナーを身につけてみたら? (村上利佳)
―― ハチャメチャ系知的遊戯の味 ――
舞台は19世紀の英国。そう、ディケンズの描いたあの霧と暗黒の世界である。11歳のいたいけな少年エディは、両親が恐ろしい疫病にかかったため、大おじさんの怪しい屋敷に預けられることになる。エディは、迎えにきた大おじさん夫婦とともに馬車に乗りこみ、旅の途中で様々な災難にあう……というと、深刻な暗いお話みたいだろうか? とんでもない! エディのまわりは、誰もかれも「イッちゃってる」人ばかり、とにかく奇妙な会話と大脱線の行動の連続なのだ。両親は窓の外にぶらさげたベッドの中からエディを見送るし、大おばさんは剥製のオコジョを振り回す。旅芝居の親方夫婦はどこでも芝居を繰り広げ、マッドな医者はとんでもない治療法を考案する。昔風の宿屋に悲惨な孤児院と、お膳立ても満点。ピンボールの球のように翻弄されるエディは、果たしてこのドタバタ劇を大団円(?)にもちこめるのか……。 作者のとうとうたる語りは、言葉による超絶技巧(別名大ボラ)の面白さをぞんぶんに伝えてくれる。読者はエディの冒険譚に目をまわすだけではなく、地の文で展開される皮肉や言葉遊びやまことしやかなウンチクの数々にも、くらくらしてしまうこと間違いなし。モンティ・パイソンなど英国伝統の饒舌有毒コメディを連想する向きもあるだろう。この風味、きまじめな(自称)わたしですらすっかり耽溺してしまったのだから、お好きなかたにはこたえられないはずだ。違いの分かるお子サマに、ぜひぜひ味わってほしい。挿絵がまた独特のテイストで、ヘンな雰囲気をよく伝えている。翻訳も遊びごころたっぷりに仕上がっていて感服。 19世紀の香気(臭気も)漂うこの作品、なんと作者は本物の歴史研究家でもあるらしい。どうりで服装や小道具など、細部の描写がリアルだ。だがこの本でもっともらしく(あるいは嘘っぽく)描かれた歴史上の事実とやらは、いったいどこまでが真実なのだろう? 作者の公式サイトの、人を食ったインタビューも必見だ。 本書は3部作の第1巻。世界20か国以上で出版されて大人気を呼び、最近ドイツ児童文学賞も受賞した。映画化の予定もあるようだ。この3部作の後、エディのさらなる冒険(災難)を描いた新シリーズも始まり、そちらの第1巻がすでに出されている。 (菊池由美)
―― 少年の心を持ち続けたW・スタイグの自伝的絵本 ――
シンプルな表紙が目をひく。白一色の背景に、茶色の帽子にグリーンのジャケットの男の子が立っている絵。ぎくしゃくした太い線から絵具がはみ出て、まるで幼い子どもが作った紙人形のようにみえる。けれど男の子の目には人のよさそうな笑みが浮かんでいるのが、はっきりとわかる。ウィリアム・スタイグ、8歳の自画像だ。 その頃(1916年)、車や電話は珍しくテレビなんて影も形もなかった。たった5セントで映画が観られたし、人々はオールドファッションでみんな帽子をかぶっていた。スタイグ一家は移民で、故郷のヨーロッパで起こった戦争の悲しい知らせを聞いては、母親は泣いた。けれどウィリアム少年はアメリカでの生活を心から楽しんでいた。横丁のおっかない犬や、おしゃべりな散髪屋のおじさん、心ひかれるけれど決していっしょに遊べないチャーミングな女の子やなんかにかこまれて。 8歳のウィリアムは目に映るまわりの世界を淡々と語る。少年はものごとをまっすぐに見て、見たままを解釈ぬきで並べていく。それはとてもシンプルな世界観だけれど、よく観察しているし、その視線は深くあたたかい。大戦下の世界の不安が幼いウィリアムのまわりにもあった。一家は引っ越しを繰り返し、両親はときどき激しく言い争った。けれども家族いっしょの楽しみもたくさんあったし、少年は少年なりの明るい生活を見いだしていた。そんな事実が言葉少なに語られ、グリーンを基調にした素朴な絵で表現されている。鎧をつけない素直な心で感じた世界がそこにある。 ユーモアと想像力あふれる数々の絵本を生み出したスタイグが、自己のルーツを語る絵本を残して、その半年後に逝ってしまった。しかし裏表紙の少年の後ろ姿は別れの挨拶をしていない。「おいでよ、もっと面白いお話をしてあげるよ」と語りかける背中にみえる。 (なかつかさ ひでこ)
―― おばあちゃんのおいしいスープの秘密は…… ――
ロージーは元気いっぱいの12歳。親友はおさななじみで同い年の男の子、ベイリーだ。でも今日のロージーは、ベイリーなんてだいきらい!という気持ちでいる。だってベイリーったら……。むしゃくしゃしているロージーのもとに、強い味方、トレリおばあちゃんがやってきた。おばあちゃんはいつも落ち着いていて、やさしくて、ロージーの話にじっと耳をかたむけてくれる。父さんと母さんが留守にするので、夕食にはふたりで「ズッパ」(イタリア語でスープのこと)を作ることにした。ズッパを煮ながらおばあちゃんにベイリーとのことを話しているうち、ロージーのかたくなった心も、ほんわかあったまってきた。そしてズッパができるころには……。 ロージーの心の動きが生き生きと伝わる一人称の語りは、シンプルでとても読みやすい。短い章だてでテンポよくすすむ物語に引きこまれ、あっという間に読み終えた。それでも第1章はズッパ、2章ではパスタと、おばあちゃんの料理ができあがる過程で、友情、恋、バリアフリーの問題、家族の絆を描き出し、人生の機微まで感じさせて、食べ応え(?)があり、栄養もたっぷりの1冊だ。 16歳でイタリアからアメリカにわたったおばあちゃんは、酸いも甘いもたくさん経験してきた。だからおばあちゃんのやさしさがあふれる言葉のひとつひとつには、ただ口当たりがいいだけではない深い味わいがある。素直で一本気のロージーと、勝気だった子どものころの自分を重ね合わせるように、おばあちゃんはロージーの話をきき、自分の思い出を語る――視覚障害のあるベイリーのため、ロージーが思いつくままつぎつぎに起こす行動は、ロージーより少し大人で現実的なベイリーをときに戸惑わせ、傷つける。おばあちゃんはといえば、アメリカにくるとき、夢のことで頭がいっぱいで、おさななじみのボーイフレンドにつまらない意地をはったまま、悲しい別れを経験した。ロージーが静かな心で自分をみつめなおせるよう、おばあちゃんは諭すような言葉やましてやお説教を口にすることなく、そっと道を示してくれるのだ。 おばあちゃんのズッパにパスタ。おいしさの秘密は調味料のさじ加減だけではない。わたしもいつか、こんな料理を作れるようになりたい! (森久里子)
―― いつまでも読み聞かせ ―― 小さなお子さんのいるご家庭では、読み聞かせを日課にされていることは多いだろう。私にも3人の子どもがいて、やはり毎日のように本を読んでやっている。ただし、相手は少々大きな子どもたちだ。末っ子の娘でも小学2年生。次男は4年生で、長男はもう中学1年生になった。今回は、そんな我が家での読み聞かせの話をさせていただこうと思う。 「ながら食べ」というと、子どもの場合、たいてい「テレビを見ながらの食事」ということになる。我が家ではこれがすっかり日常化しているので、学校の保護者会などで「うちでは食事中にテレビは見せません」とおっしゃる方があったりすると、私はもう小さくなってしまう。が、見たい番組がない時にも、やはりうちでは「ながら食べ」だ。子どもたちは食事のしたくが整うと、テレビを消して、お箸を持って、「つづき読んで!」と催促する。 もちろん、数年前までは、我が家でもごく当たり前に「おやすみ前」が「ご本の時間」となっていた。布団を敷き、誰が私の両脇に場所をとるかで一騒動した後(ちなみに、あぶれた1人は私の上に乗ることになっていた)、絵本の上に頭を寄せ合って、寝る前のひとときを過ごしていた。が、長男が夜も少し勉強するようになったり、引っ越して子ども部屋が2つになったりで、寝る前の読み聞かせはやりにくくなってしまった。そこで、全員の集まる食事時が自然と読み聞かせの時間になっていったのだ。 ちょうどその頃から、私の読み聞かせる本も絵本から読み物中心に変わった。とっかかりは『ハリー・ポッターと賢者の石』(J・K・ローリング作/松岡佑子訳/静山社)。今ひとつ読み物に関心のなかった長男に少しでも興味を持ってもらえればと思い、「これを読んで、みんなで映画を観に行こう!」と誘ったのだ。なにしろ図書館でも図鑑のようなものしか借りてこない子だったので、本の厚みを見ただけで恐れをなす。「大丈夫、全部読んであげるから」と私は言ったが、本当は、下の子たちも巻きこんで雰囲気を盛り上げようという作戦だった。 とはいえ、当時娘はまだ5歳になったばかり。娘を退屈させず、5年生になろうという長男も満足させて、この1冊を無事読み終えることははたして可能だろうか? いやいや、ここが勝負のしどころ。まず、考えたのは、声色を使い分けること。読み物になると登場人物も多く、しかも、誰々が「何々」と言いましたとはなかなか書いてない。声色でも使わなければ、誰がしゃべっているのか5歳児にはとうてい理解できない。さらに抑揚も大きくつけて、とにかく雰囲気だけでも伝わらないと、娘は飽きてしまうだろう。私は、ハリーやハーマイオニーはもちろん、ハグリッドにもマクゴナガル先生にもスネイプ先生にもなりきって、我ながら大熱演を繰り広げた。一方、読むスピードは少し速めにし、1回にある程度まとまった分量を読むことで、ストーリーを楽しめるようにと考えた。読むほうも聞くほうもこんなに長い本は初めてだったが、最後まで娘のごきげんも持続し、長男もすっかり気に入って、「自分でも読んでみる」と言い出した。長男は、2作目の『ハリー・ポッターと秘密の部屋』は初めから同時進行で読み、3作目は読み聞かせが半分もいかないうちに先に読み終わってしまった。だが、それでもやはり「読んでほしい」とは言う。 来る日も来る日も読み聞かせていた本が終わってしまうと、読み終えた充足感の後、じきに手持ち無沙汰を感じてしまう。ようやく長男が読み物の面白さに目覚めたのがうれしくて、ついつい長いものを選んで読むことが多くなった。数か月後には「ライラの冒険シリーズ」(フィリップ・プルマン作/大久保寛訳/新潮社)のような大物も読み始めていた。初めのうち、わかっているのかいないのか黙って聞いているだけだった娘も、何冊か読むうちには「○○はなんでそんなことするの?」とか「○○って、すごいねえ」と口をはさむようになった。実にあどけない、他愛もないことが多かったが、上の子たちも待っていたように思ったことを言い出したり、自分の発見を得々と話して聞かせたりして、話ははずんだ。食事中の読み聞かせでは、最後の1人が食べ終わるのを目安に切りをつける。しかし、時には「もう少し!」「あともう1章だけ!」と声がかかり、なかなか本を閉じさせてもらえないこともある。 3人の子どもは2歳半ずつ離れているから、理解力にも相応の差がある。それでも、共通の話題ができるのは楽しい。みんな同時進行で話を聞いているので、小さなことまで「ツー」と言えば「カー」、きょうだいどうしのおしゃべりも大いに盛り上がる。母子関係、きょうだい関係がきわめて良好なのも、こうしたことが関係しているのかもしれない。父親だけが話題に乗り遅れるのが、いささか気の毒ではあるが……。 今は「ゲド戦記」(アーシュラ・K・ル=グウィン作/清水真砂子訳/岩波書店)を読んでいる。第3巻『さいはての島へ』の中ほどまで来たところだ。内容も文もなかなか難しいが、聞くことに慣れた子どもたちは、落ち着いて聞いている。しばらく前から、私のターゲットは長男から次男に変わった。おっとり型だが、きょうだいの中では一番感性豊かに思えるこの子がどんな風に物語を聞いてくれるか、それが楽しみになっている。「図書室で『アースシーの風』の最初のほうだけ読んだんだよ。第1章だけで87ページもあるの。ゲドはねえ、ずいぶん年取ってたよ」今日はそんな話もしてくれた。 ついつい後回しになる末っ子には、考えてみればあまり絵本を読んでやっていない。それで、時間のあるときは、なるべく絵本を読んでやろうとも思っている。だが、ソファーに並んで座って読んでいると、じきにお兄ちゃんたちがやってきて、横に座ったり後ろからのぞきこんだり、べったりとくっついてくる。ひとりだけに読むのはズルいと言うのだ。大きな男の子がかわいらしい絵本をのぞきにくる姿は可笑しくもあるが、こんな幸せな時間は続くものならいつまでも続いてほしい気がする。 (杉本江美)
―― ウィリアム・スタイグ 〜 人間の温かさを伝え続けた作家 ――
ウィリアム・スタイグは、1907年11月14日、ニューヨークのブルックリンで生まれた。両親はウィリアムの兄である長男、アーウィンが1歳のときにオーストリアからアメリカに移住した。オーストリアでは職人としていい暮らしをしていたスタイグ家だが、ニューヨークにきてからは思うように稼げず貧しい暮らしが続いた。それでも、父親は左官の仕事の合間に絵を描いたりもし、母親も60代になってから花や果物、太陽を描いた。この両親の芸術家気質がしっかり子どもたちにも受け継がれ、後年、スタイグの兄2人、そして弟も、絵を描いたり、文章を書く仕事に就いた。 スタイグが最初に絵の描き方を教わったのは兄アーウィンからだという。笑顔としかめ面の描き方が最初のレッスンであり、漫画家スタイグの出発点にもなった。 絵は好きだったが、それを仕事にしようと最初から思っていたわけではない。16歳で入学したシティー・カレッジではほとんど水泳や水球をして過ごし、その後国立デザイン学校に入ったが、そこでも裏庭でフットボールをしたことくらいしか覚えていないとスタイグは語っている。エール大学にもほんの少し在籍しているが、いずれの学校も卒業はしていない。将来は船乗りになりたいと思ったが、父親がとうとう貯えをすべてなくし、当時兄2人は結婚して家をでていたので、必然的にスタイグが家族の面倒をみることになってしまう。漫画家を選んだのは、生活のためという訳だ。スタイグ家では、子どもがみな芸術関係にすすむという暗黙の了解があり、スタイグ本人もその了解のもと選んだ職業でもあった。1930年、スタイグは雑誌「ニューヨーカー」に漫画をかきはじめ、人気を博す。以降、「ニューヨーカー」に描く仕事とともに、銀行や保険会社などの広告画の仕事で生計をたてていった。 1968年、広告主の注文通りにばかり絵を描くのがいやになってきたスタイグは、子どもの本にとりかかることにした。最初に描いたのは、"C D B!"(未訳)で、言葉の一部だけを並べた一種の暗号のような本だ。同年、『ぶたのめいかしゅ ローランド』(せたていじ訳/評論社)も刊行。スタイグ60歳、いよいよ、子どもの本の世界に足をふみいれた。スタイグは子どもの本の世界に楽しみをみいだし、次々と作品をつくりだしていった。1969年に発表した、『ロバのシルベスターとまほうのこいし』(せたていじ訳/評論社)ではコールデコット賞を受賞。画家として確かな足跡をつけはじめた。絵本だけではなく、読み物も書きはじめ、1972年に犬を主人公にした『ドミニック』(金子メロン訳/評論社)を刊行。スタイグの物語には、動物がでてくることが多い。なぜ動物の話にするかと聞かれ、人間のすることを象徴的にあらわしていることが強調されるからだと、答えている。 その後、『ものいうほね』(せたていじ訳/評論社)でコールデコット賞オナー、『アベルの島』(麻生九美訳/評論社)でニューベリー賞オナー、『歯いしゃのチュー先生』(内海まお訳/評論社)で再びニューベリー賞オナーに選ばれている。このことから、スタイグは絵と文、両方で評価されていることがよくわかる。 日本でスタイグの作品が最初に紹介されたのは、1975年。『ロバのシルベスターとまほうのこいし』だ。2003年のいまは、全米で大ヒットしたCGアニメーション「シュレック」(2001年公開/2004年3月に続編公開予定)の原作者としてもスタイグの名前は有名になっている。『みにくいシュレック』(おがわえつこ訳/セーラー出版)は、みにくいシュレックが旅にでて、やはりみにくい王女とであう話だが、このシュレックはスタイグのひとり息子ジェレミーがモデルではないかという説がある。フルート奏者で画家でもあるジェレミーは交通事故で顔半分を失うほどの大けがをしたことがあった。スタイグはこのジェレミーを深く愛し、尊敬もしていた。ジェレミーは絵を描いているスタイグの肩越しにのぞきこんで、笑い顔やしかめ面を描くのを学んだ。そのジェレミーから、スタイグ自身、絵については教わりたいことがある、と言っているほどだ。 「スタイグの偉大な才能のひとつは、登場人物が味わう情感に入り込み、それを伝えるうまさである」と、編集者ジョナサン・コットは述べている。たしかに、スタイグの絵本をよむと、なんともいえない温かさにつつまれている気持ちになる。『ピッツァぼうや』(木坂涼訳/セーラー出版)でも、両親がやさしく楽しく、ご機嫌ななめの少年の気持ちをほぐしている。表紙のにっこり笑顔のピートの顔を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。『ゆうかんなアイリーン』(おがわえつこ訳/セーラー出版)は、吹雪の中、風邪をひいたおかあさんの代わりにドレスをお屋敷に届ける話だ。アイリーンが勇敢に悪天候の吹雪に立ち向かう姿は、読んでいると体の中から勇気がむくむくわいてくる。 スタイグは逝ってしまったが、彼の作品は何度でも読み返すことができる。心に曇り空がふえてきたらスタイグの本をひらいてみよう。笑顔の種がそこにあるはずだ。 (林さかな) (*)スタイグの公式サイトでは61歳から子どもの本を描いているとあるが、1年の終わりに近い11月生まれを考えると60歳からだと思われる。
●お知らせ● 本誌でご紹介した本を、各種のインターネット書店で簡単に参照していただけます。こちらの「やまねこ翻訳クラブ オンライン書店」よりお入りください。 ★フォッシルジャパン:やまねこ賞協賛会社 ▽▲▽▲▽ 海外児童書のシノプシス作成・書評執筆を承ります ▽▲▽▲▽ やまねこ翻訳クラブ ([email protected]) までお気軽にご相談ください。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ PR
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〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜* PR 〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜* 冬号、2004年1月1日発行予定! 英文ウェブジン "Japanese Children's Books (Quarterly)" ただいま秋号公開中↓ 自由閲覧です↓ 〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜* PR 〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜* ☆★姉妹誌「月刊児童文学翻訳あるふぁ」(購読料/月100円)☆★
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